二字No.08残照


非番の加藤四郎。ふと思いついて図書室に立ち寄った。殺風景な宇宙空間を飛び続けていると、たまに自然の風景を眺めてみたくもなるのである。端末からデータベースにアクセスし、検索ワードをいくつか打ち込み、出てくる画像をランダムに眺める。ああ、これは兄貴が好きだった絵だ…。


「兄ちゃん、何、見てるの?」

珍しく机に向かっている兄に四郎は声をかけた。うん、と生返事をする兄の後ろから、四郎はディスプレイをのぞきこんだ。次々と映し出される風景画。単純な構図にシンプルな色使い。静かな画面なのに、澄み切った空気と自然の息吹がずんと迫ってくる。
「きれいだねえ。」
四郎は目を瞠った。机の上に置かれたメモリチップのケースには、「東山魁夷作品一覧」とある。ガールフレンドに美術展に誘われて渋々出かけて行った三郎だが、行ってみたらすっかり気に入って、写真集を買ってきたらしい。

「兄ちゃん、僕、これが好きだな。」
四郎は、森の木々が湖に映し出された青と緑の光景を描いた絵を指した。「緑映」とある。
「お前もなかなかわかってるじゃないか。」
瑞々しい色彩にのって、豊かで美しい自然の息づかいが伝わってくる。

「これもきれいだね。」
四郎は別の1枚に目を留めた。朧月夜の下に見事な枝垂れ桜が描かれている。画面に大きく描かれた枝垂れ桜が月明かりに照らされ、何とも妖艶で美しい。「花明かり」個人所蔵とある。
「こういう絵は、好きな人といっしょに見たいよね。」
「四郎、お前、ガキのくせに…。」

「どれもいいけど、これは特にいいと思わないか。」
次々と画面を繰っていた三郎が手を止めて、1枚の絵を指した。画面の隅に「残照」とある。冬の夕暮れの山々を眺めた絵で、中央のひときわ高い山の連なりに残照が射し、明るく輝いている。画面の下部が夕闇に沈んでいく山々、上部が透き通った冬の空である。
「こんなところを飛んでみたいなと思うだろ。」

「ひがしやまえぞって、いいよな。」
「兄ちゃん…。『えぞ』じゃなくて、『かいい』だよ。」

「残照」は確かに素晴らしい作品だったが、大自然の圧倒的なエネルギーの中で人間がとても小さな存在に思えて、まだ子供だった自分には何だか怖いように思えた。そして飛行機馬鹿の兄らしい感想だったけど、兄がどこまでも高みに昇っていって、自分の手の届かないところに行ってしまうような気がして、何だか不安になったっけ。


「加藤、何見てるんだ?」

驚いて振り向くと、いつもの2人組、南部と相原が立っていた。
「へえ、お前にこういう趣味があったなんて知らなかったな。」
ディスプレイに表示された何枚かの絵を見て、南部が言った。
「兄が好きだったんですよ。」
「へえ、加藤がね。意外だなあ。」


「うちにも
1枚、東山画伯の絵があるから、帰還したら見に来いよ。枝垂れ桜のけっこう色っぽい絵だ。」
南部が言った。
「……」

「この『ひがしやまえぞ』って有名なんですか?」
黙って画面をスクロールしていた相原が言った。
「相原くんともあろう者が何てこと言うんです。蝦夷(えぞ)じゃなくて魁夷(かいい)です。200年くらい前の有名な日本画家ですよ。」
「そんな古い画家の名前なんか、知りませんよ。」
「日本が誇る画家だというのに。」

画伯に関する薀蓄を傾けはじめた南部に、兄も同じ間違いをしたことは兄の名誉のために、この際黙っておこうと思った四郎であった。

7 Jun. 2009

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