二字No.28理知

理知とは、感情や本能に左右されず論理的に物事の道理を判断する能力。あるいは思考する力。または理性と知恵。
これを体現したような男がひとり。いわずと知れた真田志郎、その人である。どのような状況にあっても、その論理的思考は乱されることなく、的確な判断を繰り出していく。
しかし神ならぬ身の哀しさ、そんな真田にも欠点があった。

「僕は、技師長を尊敬しています。いえ尊敬なんてもんじゃありません。神様のような人だと思っています。でも……、」
食堂の片隅でぼそぼそと嘆く声が聞こえる。新米の工作班員が尊敬する上官のことを愚痴っている様子。相手をしているのは、頼れる隊長こと加藤三郎と、意外と付き合いのいい相棒の副官、山本。

「この間、シームレス機を作ったじゃないですか。技師長はその時に着想を得て、新素材の塗料を発明されたんです。」
どんな経験も、それが辛いものであってもすぐさま肥やしにして、新しい発明につなげる。まさに理知の人、真田である。
「シームレス機を作るのはものすごく費用も手間もかかるし、用途も限られますよね。」
「確かにな。戦闘機はシームレスだといざと言う時に、かえってよくないかもしれない。」
山本が相槌を打った。要は機動性とのバランスである。
「だから技師長は、シームレス機の長所を生かして、戦闘機の機動性は損なわないけど、マグネトロンウェーブのような外的因子の防御になるように、特殊な塗料を開発されたんです。」
「ほう、さすが真田さんだな。転んでもただでは起きない。ブラックタイガーに塗装して試運転するのが楽しみだ。」
加藤が顔をほころばせた。

「僕は、開発の助手をさせてもらったんです。」
「尊敬する神様のような技師長の助手をして、しかも新素材の開発をしたんだろ。何の不足がある?」
愚痴を言うのは解せないといった表情のクールな山本。
「お前、何か失敗して真田さんに説教でも食らったのか。それで落ち込んでるのか?」
こういうところは妙に察しのいい加藤隊長。

「最終のテスト段階まで来てたんですけど…」
実験室に次の作業を指示する真田のメモが置いてあった。メモには『試料をねっておくこと』とあった。
「だから攪拌機にかけたんです。」
試料はほぼ完成のところまできていたが、真田が何か新たな着想を得たのだろう。攪拌することによってさらに高機能を出るにちがいない。だから指示通りの時間、強さで攪拌機を設定した。そうしたら試料が固まってしまった。攪拌条件の加減で熱がかかったためらしい。

「大事な試料は台無しだし、攪拌機もダメになってしまって…」
がっくりと肩を落とす新米工作班員。
「真田さんでも見込み違いをするってことがあるんじゃないか。なあ、山本。弘法も筆の誤りと言うし。」
加藤がちょっと困った顔になった。
「違うんです。技師長の指示は、『試料をぬっておくこと』だったんです。」「はぁ?」
「技師長には大目玉を喰らいました。お前は化学の初歩も知らないのかって。熱可塑性と熱硬化性を勉強し直してこいって怒鳴られました。」
慰めの言葉に窮する加藤と山本。それに気づかず新米工作班員は、ため息をついた。
「でも技師長は僕の失敗に着想を得て、加熱によって強度を増すことに成功したんです。」


完全無欠の理知の人、真田にも欠点があった。悪筆、つまり字が下手なのである。真田の書いた「ぬ」は、どう見ても「ね」にしか読めなかったらしい。しかしその欠点をも、成功の素にする真田。やはり理知の人であった。

29 Nov. 2009

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